復興が進む現在の石巻市(2020年11月末)

東日本大震災は、日本社会とそこに生きる企業・組織にさまざまな課題を投げかけました。災害への備えから見舞われたときの初動、その後の立ち直り、事業の維持と継続、どれだけの問いが発せられたでしょうか。BCP策定企業の数は飛躍的に増えました。しかし、本当に問うべきものは問われたのか。がれきに誓った思いは実現をみたのか。コロナという災禍に見舞われているいま、企業は再び危機対応を語るときです。何が壊され、何が残り、何が再生し、何が変わったのか。事例紹介、インタビュー、コラムで追体験します。

【事例紹介】

[2021年3月7日公開]
改良を積み重ねたサプライチェーン管理手法
競争原理も取り入れ業界全体で災害に強くなる

日産自動車
https://www.risktaisaku.com/articles/-/47920


東日本大震災では部品供給網の寸断が大きな課題となった。その後も、災害がある度にサプライチェーン問題が顕在化している。製品に使われる部品そのものが複雑になっていることに加え、気象災害の多発が追い打ちをかける。そのうえ大手企業は人事によって担当が入れ替わり、災害の教訓を引き継げていないケースも多い。

 

外部環境、内部環境が大きく変化するなかで、BCPを実効性のあるかたちで運用していくことは容易ではない。日産自動車(神奈川県横浜市)では、東日本大震災前からの継続的なBCPの取り組みと、過去の災害検証を生かしたサプライチェーン管理の仕組みにより、災害対策に手ごたえを感じ始めている。コーポレートサービス統括部担当部長の山梨慶太氏に聞いた。

[2021年3月7日公開]
「買い物客」守る初動マニュアル 訓練で実効性担保
被災しても心に花を 四季折々の催事支える

藤崎
https://www.risktaisaku.com/articles/-/47921


小売業は災害時、自社の従業員や売り場のスタッフのみならず、買い物客の安全を確保することが責務だ。が、対応マニュアルを定めていても、被災直後の混乱のなかで的確な避難誘導を行うのは難しい。

 

東北地方を代表する老舗百貨店の藤崎(宮城県仙台市)は、東日本大震災を機にBCPを策定。災害時の基本方針とワークフローを明確化して以前から行っていた防災訓練を充実、各地の小規模店舗も網羅しながら初動にかかる従業員の練度を高めている。また、早期復旧と地域支援によって百貨店が果たす役割を問い直し、取引先や顧客との新しいつながりを模索する。

[2021年2月1日公開]
BCPの取り組みで社員や取引先に安心を提供
自分たちで考え実践させる、それがPDCAのポイント

白謙蒲鉾店
https://www.risktaisaku.com/articles/-/45661

 

白謙蒲鉾店(宮城県石巻市)は東日本大震災の津波により全事業所が被災、その後、事業継続マネジメントシステム(BCMS)の国際規格ISO22301の認証を取得した。人命第一の防災を最優先に、地震災害だけでなくゲリラ豪雨、感染症、事故、テロなどさまざまな事象を想定し、年間50回を超える演習を行って危機管理力を高めている。

食品製造会社である同社がなぜ、これほど危機管理にこだわり続けるのか、どのように社員のモチベーションを高めているのか。そこからは、BCPを組織に定着させるヒントを垣間見ることができる。同社のBCM推進責任者・白出雄太常務取締役に聞いた。

[2021年1月25日公開]
地域支えるモノづくり、「災害弱者」へまなざし深く
激化する災害と余力失う社会に技術開発で立ち向かう

北良

https://www.risktaisaku.com/articles/-/44646

 

10年前、未曽有の被害を経験した企業はもう二度と悲劇を繰り返さないという思いで災害への備えを進めてきた。地域密着ガスサプライヤーの北良(岩手県北上市)は、東日本大震災を教訓に「災害に強い社会づくり」を本気で目指そうと「医療と防災のヒトづくり・モノづくりプロジェクト」をスタートした。

人材開発と技術開発を両輪でまわすそのプロジェクトは確実に成果を上げ、社内に防災文化を築くとともに、さまざまな事業活動を通じて地域へ、全国へと防災の波紋を広げている。ここでは「技術開発」にスポットをあてて紹介する。

[2021年1月21日公開]
津波による壊滅的被害から10年
BCPに取り組み続けるために必要な要素

オイルプラントナトリ

https://www.risktaisaku.com/articles/-/44645

廃油リサイクル業者のオイルプラントナトリ(宮城県名取市)は、東日本大震災の津波により工場が壊滅的な被害に遭いながらも、被災1週間後から事業を再開させた。

 

同社がBCPを策定したのは、まさに震災直前の2011年1月。このとき津波被害は想定していなかったものの、工場にいた武田洋一社長と星野豊常務の指示により全員が即座に避難。一人も犠牲者を出さなかっただけでなく、約1週間後には自社の復旧作業に取り掛かり優先業務を復旧させた。

現在、BCPの運営はどうなっているのか。実効性は保たれているのか。星野常務に聞いた。

【インタビュー】

[2021年3月3日公開]
防災の根本問題は、避難所需要に対して資源が圧倒的に少ないこと
民間活用と「災害時自立生活圏」でアンバランスを解消する

東京大学生産技術研究所教授 加藤孝明氏
https://www.risktaisaku.com/articles/-/47918

東日本大震災から10年、日本は自然災害に次々に見舞われた。被災者が入る避難所も、さまざまな経験を経てかなりの改善が見られる。例えば2月13日、宮城・福島両県で最大震度6強を観測した地震では、相馬市の避難所がテントを使ってプライバシーを確保していた。

 

一方、昨年9月の台風10号では、定員に達した避難所が500カ所を超えた。首都圏では避難所に住民が入り切れず、別の地域に移動せざるを得ない事態も発生している。東京大学生産技術研究所の加藤孝明教授は、公共施設を前提とした避難所は需要に対し圧倒的に少ないと指摘。民間の「災害時遊休施設」の活用や〝災害時自立生活圏〟を増やして需要を減少させることが必要と訴える。

 

[2021年1月14日公開]
これからの国土づくり 「構想力」と「創意工夫」で
災後社会を切り拓く働きかけを「普通」の国民から

東京大学名誉教授 御厨貴氏

https://www.risktaisaku.com/articles/-/44640

東日本大震災の直後から政府の復興構想会議のメンバーとして被災地を訪ね、地域の再生や支援の在り方、強靭な国づくりに多くの提言を行った東京大学名誉教授の御厨貴氏は当時、これからの日本の行方を「戦後が終わり、災後が始まる」と表現した。

 

あれから10年、社会はどう変わったのか。いつか再び起こる巨大地震を巡り、政治・行政システムや技術環境、産業構造、また市民の生活や仕事はどう進歩したのか。現在露呈している問題と解決への糸口について、御厨氏はトップの「構想力」の欠如とボトムからの「創意工夫」の重要性をキーワードに掲げる。

【コラム】

[2021年1月3日公開]
東日本大震災から10年 問われるBCPの実効性
危機に強い組織をつくるために

リスク対策.com編集長 中澤幸介
https://www.risktaisaku.com/articles/-/44604

 

東日本大震災から10年目を迎える今年、新型コロナウイルスにより世界中が混乱に陥っている。この10 年、政府は企業や自治体にBCPの策定を呼び掛け、大企業では実に68.4%もの企業がBCPを策定した(令和元年時点)。自治体では都道府県の100%、市町村の89.7%がBCPを策定している。

ところが、災害による犠牲者は一向に減らない。今回のコロナ過でも経済、雇用、働き方、メンタル、家庭問題、情報セキュリティーなど、さまざまなリスクがドミノ倒しのように連鎖的に発生している。非常事態に対し、企業や自治体はしっかり立ち向かえるようになったといえるのか。

さまざまな変化のスピードに、危機管理がついていけていない。危機の検証がされぬままに人事異動が行われ、せいぜい紙の計画だけが引き継がれ、それをつくった過程は忘れ去られていく。あらためて、BCPの実効性が問われている。