台風の東側を北上する流れ

東海豪雨は、9月11日の夕刻から激しくなった。図2に、豪雨が激しくなる前の11日9時の気象衛星赤外画像を示す。南大東島の近海に台風第14号の雲域が見える。ピンホールのように小さくてくっきりとした眼をもち、眼を取り巻く円形の雲域は濃密で、この台風の勢力が非常に強いことがわかる。朝鮮半島北部から、日本海北部を経て北海道北部にかけて、たなびくようにのびている白く輝いた細長い雲帯は、上部対流圏のジェット気流に伴うもので、雲域の北縁に沿って、西から東へジェット気流が吹いている(矢印付き水色線)。ジェット気流は下部対流圏の前線と密接に関連しており、通常はジェット気流軸の低緯度側、数100キロメートルないし1000キロメートルのところに地上前線がある。すなわち、この事例では、本州付近に前線が存在するはずであり、本州一帯を覆う雲域がそれに対応している。

画像を拡大 図2. 気象衛星赤外画像( 2000年9月11日9時:豪雨開始前)

図2で、台風の雲域の東側に点々と見られる白色や灰色の雲(黄矢印)は、台風の外周を北上する対流雲列である。台風は反時計回りの渦なので、台風の東側では南風や南東の風が吹いており、熱帯の高温多湿の空気が北に向けて輸送される。その一部は台風に取り込まれて台風の発達に寄与するが、外周部分を北上する高温多湿の空気は、台風の束縛を逃れ、台風の北東側の温帯域に侵入していく。本連載の2021年6月1日付け(No.20:伊那谷豪雨)において、熱帯じょう乱の北東象限は大雨が起こりやすいことを指摘したが、それは以上のようなからくりによる。

高温多湿の空気は、ただ流入するだけでは大雨になるとは限らない。図2で、台風の東側の外周に点々と見られる対流雲は、小笠原諸島付近を除いてはあまり発達していない。それは、太平洋高気圧の支配下で、大気が安定しており、深い対流が起こりにくいからである。しかし、日本列島の陸地の近くでは、対流雲が俄然発達している。四国の南から紀伊半島沖、東海から関東の沿岸に、白く輝いた団塊状の雲域が見られるが、それらは発達した(または発達しつつある)積乱雲である。

日本列島の陸地が対流雲を発達させる

高温多湿の空気が日本列島の陸地に近づくと対流雲が発達するのはなぜか。それは、日本列島の存在自体がその理由である。日本列島が太平洋高気圧の支配下にある時でない限りは、熱帯海域から北上する高温多湿の空気にとって、日本列島は海上に突き出た障壁のようなもので、気流を収束させ、また山地斜面を滑昇する流れを強要する。それは、対流雲の発達のトリガーとなり、また発達を促進させる。こうして、日本列島の陸地の近くで積乱雲が次々と発生し、発達しながら陸地に侵入して行くことになる。その様子は、気象衛星画像を動画にして観察するとよくわかる。

図3は、東海豪雨が激しくなる直前の11日15時から、豪雨最盛期の21時にかけての毎時の気象衛星赤外画像である。図2(9時の画像)で四国の南にあった雲域A(赤破線域)は、15時には面積が拡大して組織化し、四国・中国地方東部・近畿・東海・北陸地方を覆い、北東へ移動した。雲域Aは、その領域内にいくつかの発達した対流雲域を包含する雲組織となった。

画像を拡大 図3. 気象衛星赤外画像(2000年9月11日15 時~ 21時:豪雨が激しくなる直前~最盛期)

11日15時の画像で東海沿岸に見られる積乱雲域Bは、11時に紀伊半島の南東沖で発生して北東進してきたものであり、雲域Aに取り込まれようとしている。

11日15時の画像で熊野灘に見られる積乱雲Cは、発達・拡大しながら北東進し、17時には志摩半島、18時には愛知県、19時には岐阜県から静岡県、20時には長野県へと進んだ。

さらに、11日21時に東海地方を覆う発達した対流雲域Dは、雲域Cの後を追うように進んできたことが図3から知られるが、起源をたどると、15時に紀伊半島の南海上に出現し、18時までは北へ進んで潮岬付近に達し、その後は北東進したことがわかる。

ここで、11日15時以降の雲域Aの動向を確認する。雲域Aは、15時以降、その南部に雲域B、C、Dを含みながら全体として東北東へ移動し、21時には近畿地方から東北地方までを覆った。そして、雲域Aの北西側には、台風の北西象限を起点とする、南西~北東走向の明瞭な上層雲の筋が見られるようになった。これは、9時の画像(図2)に見られたジェット気流とは風向が異なり、より高い高度を流れる別のジェット気流(矢印付き水色線)が明瞭になってきたことを表す。