安倍元首相暗殺事件が旧統一教会の問題になっているが、その対応に問題はないのか(写真:写真AC)

安倍元首相暗殺事件がいつの間にか旧統一教会問題にすり替わっている状況である。

カルト宗教問題、政教分離、霊感(開運)商法の是非は検討が必要だが、それは別途検討としていったん置き、危機管理対応、危機コミュニケーションの視点で考え直す時期が来ていると痛感する。今回はその点に関して論じたい。

危機コミュニケーションのポイント

危機コミュニケーションの要諦は「初動のスピード感」「事実認識」「漏れのない影響範囲の特定」「危機に対する対処」「再発防止策」の適切な説明とまとめられるだろう。そしてステークホルダーの納得を得て成功となるが、納得が得られない場合は炎上し、事態は悪化するのが常である。

言い訳や自己都合の弁明、問題認識の薄さ、対応の遅さが見え隠れすれば、ステークホルダーの納得を得ることができなくなるのは当然であり、かつては、そうしないためのノウハウがさまざまなかたちで語られてきた。しかし、現在は小手先のテクニックに走り、本質を失いつつあるのかもしれない。

クレームに聞く耳を持つ姿勢は重要だが、論理的対話を放棄した、ことを穏便に済ませるためだけの対応は別の問題を生む(写真:写真AC)

ヘビークレームに対し、とにかく低姿勢を徹底し、たとえ非論理的な言いがかりだとしても聞く耳を持ち、相手に寄り添う姿勢をまずは示すべきだろう。しかし、そのクレームが感情論で現実的でない場合、答えが出せず、のらりくらりと揶揄されかねない姿勢に見えるケースも生じる。それでも長引かせるよりも損切りした方が得策と妥協し、場合によっては損害金を支払ってでも解決を図り、ことを穏便に済ませようとすることが多いのではないだろうか。

変に長引かせて感情的に膨張させるより得策なのは分かる。だが、行き過ぎるとこれが常態化し、ヘビークレームは悪質化、過激化するスパイラルに陥る。この負の循環を止めるためには、正論による勇気ある対峙が時には必要になると感じるのだ。