流域に広がるブドウ畑(高級ワインの産地)

「中ライン」:ロマンチック・ライン川

古くから温泉の湧く保養地として知られるヴィスバーデン(Wiesbaden)に一泊した後、中ライン・船下りの出発点リューデスハイム(Rudesheim)に向う。前夜の雨も上がって快晴である。同町は古くから回船(舟運)とワイン取引で栄えた港町である。対岸が中世ドイツ文化の中核で一大工業都市マインツ(Mainz)である。15世紀に活版印刷に成功したグーテンベルクの博物館がある。搭乗券を販売している女性は「ここの船下りは日本人に最も人気のあるところです。ローレライは右舷側ですよ」と不思議なイントネーションの日本語で話しかける。日本人観光客が教えたに違いない。「今日は、金曜日のシニアー・デイだからお年寄りの乗客が多いのです」とのことであった。「シニアー・デイ」にはお年寄り料金が格安になるようである。日仏独語で書かれたパンフレットやライン河関連図書を買い込んで乗船する。午前9時5分、観光船は岸を離れる。ここでも乗客の大半がドイツ人のお年寄りたちだ。よくしゃべり、よく食う。ビールを飲む。元気一杯である。

中ラインは、「ロマンテッシヤー・ライン川」(ロマンチックなライン川)と愛称され、4時間あまりの船旅はライン下りのハイライトである。両岸から高台が迫ってきて、山間の渓谷を行くような観を呈し、多くの古城が両岸にそびえる。伝説に名高いローレライの岩場があり、中世の町を再現したような古風の美しい町や村が点在し、斜面には一面にブドウ畑が広がる。ドイツワインの産地である。かつて通行税を取り立てた館も残っている。猫城、ネズミ塔、シュターレック城、プファルツ城、シェーンブルク城などの古城を岸辺の高台に眺めながら、船はお目当てのローレライ(Lorelei)に向かう。

川幅が極端に狭くなり、ほとんど垂直に近い絶壁が川面より132mも高いところまでそそり立っている。急流の難所で、かつては岩の暗礁群が水中に潜んでいて、船乗りたちは、川岸にそびえるローレライの岸壁の形状と流れの有様から暗礁群の位置を推測し必至の思いで操船した。ローレライの岸壁は、不気味なこだまが響くため船乗りたちは魔性のものが死を招いて呼びかけてくると恐れた。ハイネの詩、ジルヒャーの作曲で知られる「ローレライ」のもとになった伝説である。船内に「ローレライ」の曲が流れる。乗客のお年寄が声を張り上げてコーラスを始めるものと思ったが、口ずさむ程度で合唱は始まらない。私の隣でデッキに立っていたドイツ人男性老人(元高校教師)は「ハイネがユダヤ人だから進んで歌おうとしないのでしょう」と小声で語り顔をゆがめる。そして「船上ではドイツワインを楽しむべきですよ」と言ってお勧めの銘柄を教えてくれた。

ロマンチック・ラインの終着点で2000年の歴史を持つコブレンツ(Koblenz)で下船した。キャビンボーイによるとこの日の乗客数は定員2000人に対して約600人で、その大半が旧東ドイツから来た御年寄の観光客であり、日本人の客は数人であるとのことだった。秋の観光シーズンに入る9月中旬以降には乗客数は増えるはずであると語っていたが、表情は今ひとつさえなかった。鉄道に乗り換えてボンに向かい宿泊した。(ライン下りの船はコブレンツを経て北に向って進む)。

「下ライン」:古都のボン・ケルンそれにルール川

ライン川べりに発達したボン(Bonn)の歴史も古い。紀元前1世紀にローマ軍が城塞を築いてCastra Bonnensia(ボンの要塞)と名付けたことに地名は由来する。ボンの大聖堂は西ローマ帝国末期に建造されたもので改装中であった。早朝、ライン河畔を散歩する。両岸に広い公園が整備されていて小鳥が飛び交い気分は爽快である。河砂や鉄鉱石を満載した輸送船が行き交う。市内中心部には名門ボン大学や作曲家ベートーベンの生家などがある。ボン大学付属図書館を訪ね、拙書『工学博士 廣井勇の生涯』の英訳本を寄贈した。「ドイツに留学した日本人学者の英訳伝記が著者から寄贈されるのは初めてです」と女性司書は喜んでくれた。

ドイツの名だたるアウトバーン(Autobahn、ヒトラー政権下に造られた高速自動車専用道路)を走ってみたくなり、タクシー運転手に依頼した。「ケルン駅までを30分以内で走ってみせる」とギリシャから出稼ぎに来ているという中年運転手は豪語する。この国では高速道路に制限速度がない。運転手はアウトバーンに入るやアクセルを踏み込み、最高時速180km!で車をぶっ飛ばした。ライン河に近いケルン駅前まで20分で着いてしまった(運転手によるとフランスでは「高速道路に制限速度などという馬鹿なルールがあって時速90kmまでだ」と吐き捨てるように言う)。

ケルンのシンボルである天空を突き抜けるような大聖堂を見学した後、列車に乗り込んでドイツ西部の工業都市エッセン(Essen)に向かった。ライン河支流のルール河畔に広がるエッセンを是非訪ねたいと思ったのは他でもない。ヨーロッパ最大の工業地帯とされ、ドイツ最大の炭田・ルール炭田の中核都市として栄えたエッセンとその周辺で、ルール河とそれに連なる運河の水質問題を調べたかったからであった。

1世紀以上もの間、ドイツ産業を支えたツケの工業廃液にまみれたルール川の水質管理の実態を知ろうとしたのである。ルール川には河川敷を利用して遊水地が各地に掘られている。水泳用プールを思わせるが、コンクリートで固めていない。川水は多くの遊水地を下るとダム湖(ボールデニー湖)に流れ込む。遊水地とダム湖は水道用水確保と水害防御のために開削されたものであるが、何よりもかつての水質汚濁から脱却するための装置として造られたもので、ダム湖は今日では貴重な水辺の空間として市民に開放されている。だが遊水地は立ち入り禁止である。河川管理組合の話では「水質管理には万全を期しており、過去のような心配はない」とのことであった。さて、本稿が読者諸氏への<旅へのいざない>になったであろうか。 

最後に「ライン河の文化史―ドイツの父なる河」(小塩節、講談社)をお勧めしたい。 

(つづく)