2019/07/16
安心、それが最大の敵だ
江戸川流頭部の棒出しの意味

江戸川の流頭部に設置されていた棒出し(江戸川の最上流部の左右両岸から突出して流量を抑えていた巨大な水制)は利根川東遷の真相を知るうえで、非常に重要な意味を持つ、と小出博士は指摘する。
この棒出しは、江戸後期天保年代に、江戸川右岸下流の二号半領(現埼玉県松伏町から三郷市、旧水郷地帯)の農民の要求を入れて創設された、とされる。江戸川の洪水が二号半領の排水を悪化させたためである。これに対して上流側の栃木県上都賀郡一帯は、渡良瀬川下流部の流水の疎通が害されて、洪水が停滞して水害が頻発するとの理由を挙げ、その創設に反対し、棒出しの幅を18間(約32メートル)以下に狭めないとの条件で、設置を認めたいきさつがある。はじめ乱杭を川べりに打ち込んで川幅を狭めていたが、後には堤防を突き出し、法面に3段の石枠を入れ、先端には長い太い杭を打っていた。
明治初期になって棒出しが強化される。明治8年(1875)枠を廃止して石張りに強化した。流れの自然に反する水理構造物であるから、洪水のたびに破損し、明治8年の改修は破損の復旧改良であったようだ。しかしその後17年(1884)、18 年(1885)、29年(1896)に改修が加えられ、31年(1898)には石材とセメントを用いて河床を埋め、幕末から明治初年には26~30間(約46~53メートル)はあったらしい棒出しの幅を、ついに9間強(約16メートル)に狭めている。
明治年代の中頃、江戸川流頭(関宿)の棒出しを著しく強化する背景には、足尾銅山鉱毒事件のまん延を恐れた政府の事情があることを見逃してはならない。明治20年代の後半から30年代の前半は、足尾銅山鉱毒事件が起こって、全国民の目が渡良瀬川流域の被害地に注がれた時期である。そして鉱毒は江戸川下流や下利根川にも余波として広がりつつあった。明治政府は鉱毒水が江戸川を下り、東京府下(当時)に氾濫することを恐れ、棒出しを強化しながら渡良瀬川河口(利根川への合流部)を拡幅して、利根川の流れが逆流しやすいようにしたのである。そして幕末から明治初年にかけて、「江戸川を利根川本川とし、これに洪水主流を排疎すべきである」との大方の識者(民権家田中正造もその一人)の見解を無視して、明治政府は中下利根川を主流として銚子に落とす「東遷物語」を完結する。
このように政府をして利根川東遷を強調し強行せしめたのは、足尾銅山鉱毒事件のまん延化であったが、政府はこれを江戸幕府以来の事業であると位置づけ、帝国議会の答弁でも、当時のオランダ人お雇工師の意見を逆手にとって、幕府による利根川開発の延長線に過ぎないと強弁を繰り返した。明治33年(1900)利根川改修の第1期工事が下流を中心に推進され、第3期が終了するのが昭和5年(1930)である。赤堀川を拡張し、権現堂川を閉め切った。同時に、大正末期には上流のダムと中流域の遊水地を組合わせた洪水調節の政策が取り上げられるようになる。政府による河水統制事業である。
大正時代から昭和初期になって、利根川本川の洪水の大部分は銚子に流れるようになり、利根川東遷の「物語」はようやく現実的に完結する。だが下流部に当たる手賀沼や印旛沼では洪水のたびに激流が逆流して流れ込み、生命や財産を奪われ続けるのである。上中流域の洪水を下流に押し付けたのである。
参考文献:「利根川治水論考」(吉田東伍)、「利根川治水史」(栗原良輔)、高橋裕氏・大熊孝氏の論文・図書、「利根川と淀川」(小出博)、国土交通省(旧建設省河川局)資料。
(つづく)
安心、それが最大の敵だの他の記事
おすすめ記事
-
-
入居ビルの耐震性から考える初動対策退避場所への移動を踏まえたマニュアル作成
押入れ産業は、「大地震時の初動マニュアル」を完成させた。リスクの把握からスタートし、現実的かつ実践的な災害対策を模索。ビルの耐震性を踏まえて2つの避難パターンを盛り込んだ。防災備蓄品を整備し、各種訓練を実施。社内説明会を繰り返し開催し、防災意識の向上に取り組むなど着実な進展をみせている。
2025/06/13
-
「保険」の枠を超え災害対応の高度化をけん引
東京海上グループが掲げる「防災・減災ソリューション」を担う事業会社。災害対応のあらゆるフェーズと原因に一気通貫の付加価値を提供するとし、サプライチェーンリスクの可視化など、すでに複数のサービス提供を開始しています。事業スタートの背景、アプローチの特徴や強み、目指すゴールイメージを聞きました。
2025/06/11
-
-
リスク対策.com編集長が斬る!今週のニュース解説
毎週火曜日(平日のみ)朝9時~、リスク対策.com編集長 中澤幸介と兵庫県立大学教授 木村玲欧氏(心理学・危機管理学)が今週注目のニュースを短く、わかりやすく解説します。
2025/06/10
-
その瞬間、あなたは動けますか? 全社を挙げた防災プロジェクトが始動
遠州鉄道株式会社総務部防災担当課長の吉澤弘典は、全社的なAI活用の模索が進む中で、社員の防災意識をより実践的かつ自分ごととして考えさせるための手段として訓練用のAIプロンプトを考案した。その効果は如何に!
2025/06/10
-
-
緊迫のカシミール軍事衝突の背景と核リスク
4月22日にインド北部のカシミール地方で起こったテロ事件を受け、インドは5月7日にパキスタン領内にあるテロリストの施設を攻撃したと発表した。パキスタン軍は報復として、インド軍の複数の軍事施設などを攻撃。双方の軍事行動は拡大した。なぜ、インドとパキスタンは軍事衝突を起こしたのか。核兵器を保有する両国の衝突で懸念されたのは核リスクの高まりだ。両国に詳しい防衛省防衛研究所の主任研究官である栗田真広氏に聞いた。
2025/06/09
-
危険国で事業展開を可能にするリスク管理
世界各国で石油、化学、発電などのプラント建設を手がける東洋エンジニアリング(千葉市美浜区、細井栄治取締役社長)。グローバルに事業を展開する同社では、従業員の安全を最優先に考え、厳格な安全管理体制を整えている。2021年、過去に従業員を失った経験から設置した海外安全対策室を発展的に解消し、危機管理室を設立。ハード、ソフト対策の両面から従業員を守るため、日夜、注力している。
2025/06/06
-
福祉施設の使命を果たすためのBCPを地域ぐるみで展開災害に強い人づくりが社会を変える
栃木県の社会福祉法人パステルは、利用者約430人の安全確保と福祉避難所としての使命、そして災害後も途切れない雇用責任を果たすため、現在BCP改革を本格的に推進している。グループホームや障害者支援施設、障害児通所支援事業所、さらには桑畑・レストラン・工房・農園などといった多機能型事業所を抱え、地域ぐるみで「働く・暮らす・つながる」を支えてきた同法人にとって、BCPは“災害に強い人づくり”を軸にした次の挑戦となっている。
2025/06/06
※スパム投稿防止のためコメントは編集部の承認制となっておりますが、いただいたコメントは原則、すべて掲載いたします。
※個人情報は入力しないようご注意ください。
» パスワードをお忘れの方