現在のエボラ出血熱発生状況

1976~2019年7月まで、30回を超えるエボラ出血熱の発生が記録されています(図)。世界保健機構(WHO)は、この流行を受けて、2018年10月以降国際保健規則(IHR)緊急委員会を開催していますが、2019年年7月17日に、今回の流行は「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態(PHEIC)」に該当することを宣言しました。

厚生労働省でも、その旨各省庁にその旨注意を喚起するとともに、エボラ出血熱発生地域(ギニア、シエラレオネ、リベリア、ウガンダ、スーダン、ガボン、コートジボワール、コンゴ、コンゴ共和国)に渡航して帰国した人が、嘔吐、下痢、食思不振、全身けん怠感などの症状が出て医療機関を受診した場合、「エボラ出血熱を念頭においた診療」を行うように医療機関に求めています。エボラ出血熱の発生していない日本でも、エボラ出血熱への対応の一層の強化や継続的な警戒が必要になっているのです。 

WHOからPHEICが宣言されるのは5度目です。PHEICとは、最も深刻なレベルの感染病流行などへの警告で、2014~16年に西アフリカで1万1000人以上が死亡したエボラ出血熱流行時など、これまで4度しか出されていませんので、大変深刻な事態がアフリカで生じているのです。

実際に、コンゴでは、2018年8月以降現在に至るまで、エボラウイルスの感染が拡大し続けています。これまでに2500人以上がエボラ出血熱を発病し、そのうちの3分の2に当たる1600人以上が死亡しています。2018年8月以降224日間で、罹患(りかん)数は1000名に達し、それからわずか71日後には、2倍の2000名にまで罹患者数は増えました。現在でも、毎日約12件の新しい症例が報告されています。

エボラ出血熱の「rVSV-ZEBOV」という名称のワクチンが2014〜16年の西アフリカでのエボラ大流行中に開発されました。まだ正式に承認されていないワクチンですが、研究用として使用されています。このワクチン効果は優れており、すでに16万1000人以上が接種を受けています。しかし、誰もが予防接種を受けているのでなく、接種を受けることができたのは、エボラ出血熱患者と接触する医療従事者などに限定されています。

写真を拡大 アフリカにおける主なエボラ出血熱の過去の発生の概況(出典:東京都感染症情報センター資料)

スーダン(1976年、1979年):1976年6月末、ス―ダン南部で284名が発病し、151名(53パーセント)が死亡したのがアフリカでの最初のエボラ出血熱の発生でした。最初の患者から、家族、医療従事者などにウイルスは次々に感染しました。家族内感染と院内感染で感染が拡大しました。1979年にも5家族34名が発病し、22名が死亡しています。

コンゴ(1976~77年、1995年):1976年のスーダンでの発生から2カ月後、コンゴでもエボラ出血熱の流行が発生しました。病院と教会に出入りしていた患者と家族、医師、看護師などの医療従事者の間でのウイルス感染が拡大。マスク、手袋、白衣、注射器などの医療器具が不足し、満足な医療ができず318名の患者中280名(88パーセント)が死亡しました。アメリカCDC、WHO、ベルギーの医療救援チームが入り、流行は止まりました。人から人へのウイルス感染は、急性期の患者との直接接触によるものが主でした。それから 18年後の1995年、遠く離れたザイール中央部の町の総合病院を中心に4月初めに発生が起きました。244名の死亡者中100名以上は医療従事者で、今回も、白衣、手袋、長靴、注射器など医療に必要な器具が不足したために感染は拡大しました。アメリカ、WHO、ベルギーなどの医療チームの救援により流行は止まりました。なお、分離されたウイルスの遺伝子は、19年前の流行時に分離されたウイルスに酷似していました。

1994年コートジボワール、1996年ガボン:この2国での発生にはチンパンジーが関与しています。死亡チンパンジーに人が無防備のまま接触したために、感染が起きたと考えられています。チンパンジーは人と同様、エボラウイルスの本来の宿主ではありません。人のエボラウイルス抗体保有調査は、発生時にその周辺で実施されましたが、数パーセントの症状を出さない抗体陽性者(不顕性感染者)の存在が認められています。

2000~01年ウガンダ:スーダンとの国境地域で2000年10月に発生が始まり、合計425名の患者と225名の死亡者(死亡率53パーセント)が出ました。別地域への感染の拡大も起きましたが、これは葬儀に参列して感染した人や家族内感染を受けた人が国内移動したことによるものと考えられています。医療従事者の感染事例も29 名報告されています。この流行時には、WHOを主体に全世界から23の医療チーム、104名の人材が派遣され、国際的な対策チームが組織され対応しました。日本人専門家も5名参加し、医療現場で活動しました。

2001~02年ガボンとコンゴ:2001年12月にガボンとコンゴの国境地帯で発生し、2002 年4月までにガボンで65名(死亡者53名)、コンゴで3 名(死亡者20名)罹患する流行がありました(両方の死亡率約75パーセント)。

2003~07年コンゴとウガンダ:コンゴで2回、ウガンダで1回、患者が100名を超える流行が起きました。

2014~16年西アフリカ:2014年3月にギニアで流行が始まり、患者、ウイルス感染者が隣国のリベリア、シエラレオネの西アフリカへ移動したことにより流行地が大幅に拡大しました。WHOは、2014年8月8日に本流行をPHEICと宣言しています。エボラ出血熱の発生は約2年間が続き、2016年3月29日にPHEICが解除されました。患者の数は、疑い例を含み合計2万8616名、死亡率40パーセント(ギニア3814例・死亡率67パーセント、リベリア1万666例・死亡率45パーセント、シエラレオネ1万122例・死亡率28パーセント)に上ったと報告され、過去最大の流行となりました。この規模の大きいエボラ出血熱の流行に対応するために、医療施設の充実および患者家族をケアするさまざまな施設が造られています。