幕末・維新とメディア事情それに小栗忠順
悲劇的最後を遂げた開明派幕臣
高崎 哲郎
1948年、栃木県生まれ、NHK政治記者などを経て帝京大学教授(マスコミ論、時事英語)となる。この間、自然災害(水害・土石流・津波など)のノンフィクションや人物評伝等を刊行、著作数は30冊にのぼる。うち3冊が英訳された。東工大、東北大などの非常勤講師を務め、明治期以降の優れた土木技師の人生哲学を講義し、各地で講演を行う。現在は著述に専念。
2017/09/25
安心、それが最大の敵だ
高崎 哲郎
1948年、栃木県生まれ、NHK政治記者などを経て帝京大学教授(マスコミ論、時事英語)となる。この間、自然災害(水害・土石流・津波など)のノンフィクションや人物評伝等を刊行、著作数は30冊にのぼる。うち3冊が英訳された。東工大、東北大などの非常勤講師を務め、明治期以降の優れた土木技師の人生哲学を講義し、各地で講演を行う。現在は著述に専念。
今日、インターネットやSNSの普及により既存の新聞・テレビ・雑誌などマス・メディアは激変を余儀なくされている。そこで近代メディアの黎明期ともいえる幕末から明治維新の新聞事情を考えてみたい。それは文明開化のうねりとも連動する。
江戸幕府が鎖国を捨て開国を打ち出した後、欧米列強に派遣されて西洋事情に接した幕臣の中には、幕府自らが新聞を活用して世論を導くべきであると建言する者があった。万延元年(1860)、外国奉行・新見正興(しんみ・まさおき)を正使とする遣米使節団に監察(ナンバー・スリー)として随行した開明派幕臣・小栗忠順(ただまさ)は、滞米中使節の動向を地元新聞が絵入りで詳細に報じていること、しかも内容が正確であることに「文明」を感じた。それは江戸市中の瓦版などとは比べ物にならないメディアだった。
知識人小栗はアメリカの新聞事情を知らなければ「文明」は語れないと痛感し、その実態を調べようと決意した。帰国後、彼は幕府首脳に「文明の証」として新聞発行を強く主張した。だが新聞発行の実態など知らない守旧派老中らには理解にはほど遠く、とても聞き入れられるものではなかった。小栗は、遣米使節団に随行した咸臨丸の随員だった俊才・福沢諭吉を編集・発行の責任者に充てる心づもりだった(小栗の偉才ぶりについては後述)。
その後、幕府内では、元治元年(1864)7月に横浜鎖港(開港拒否)の交渉を終えて帰国した幕臣・池田長発(ながおき)、河津祐邦(すけくに)、河田煕(ひろむ)が「新聞紙社中に御加入の儀申上げ候書付」を提出した。この書付は西洋諸国では「パブリック・オピニオンにて国民の心を傾け候様の方略相施し候事にて、いずれの政府にも新聞紙社中へ加入致さざるものはこれなく」として世論形成における新聞の重要性を強調し、「最初若干の敷金」を出費し「右社中加入の儀」を実施するよう求めた。これは幕府がすすんで情報発信をしようとしないため、英米仏などの外国公使側の言い分だけが広まって「自然偏頗(へんぱ)の取扱い」となるのを防ごうとするものであった。
「社中加入」の意味がいま一つ明確ではない。日本人による最初の新聞とされる「中外新聞」の購読規定などから判断すると、まとまった部数を定期発行することで発言権を確保し、幕府側からの情報発信を行いやすくしようとしたのではないかと考えられる。(「日本の近代 メディアと権力」著・佐々木隆参考)。この書付(提言)は、池田らが幕府錯港論を批判して処罰されたため、何ら顧みられることなく無残に葬られた。ここでも幕府首脳に「情報」に関する深慮がなかった。
皮肉なことに、江戸幕府支援の新聞が実現したのは、幕府が崩壊に大きく傾いてからであった。慶応3年(1867)10月、将軍徳川慶喜は実権を幕府に残すことを狙い、大政奉還の大博奕を打って出た。だが王政復古のクーデターの反撃にあい、翌4年正月、鳥羽・伏見の戦いに敗れて、大勢は薩長を中核とする新政府に傾いた。
同年2月24日、新政府軍(西軍)の江戸攻撃が迫る中、会訳社の指導者・幕臣柳河春三(しゅんさん)は頭取(代表)を務める開成所(幕府洋学研究機関)事務局で「中外新聞」を創刊した。同紙は外国新聞の日本記事への抄訳行うことを目指していた。が、同時に独自の国内情報も載せることを打ち出していた。「中外」は、外国情報の紹介に終始したそれまでの翻訳新聞や外国初の日本情報を集めた筆写新聞とは一線を画し、今日的な意味での「新聞」に近づいた。
安心、それが最大の敵だの他の記事
おすすめ記事
リスク対策.PROライト会員用ダウンロードページ
リスク対策.PROライト会員はこちらのページから最新号をダウンロードできます。
2025/12/05
競争と協業が同居するサプライチェーンリスクの適切な分配が全体の成長につながる
予期せぬ事態に備えた、サプライチェーン全体のリスクマネジメントが不可欠となっている。深刻な被害を与えるのは、地震や水害のような自然災害に限ったことではない。パンデミックやサイバー攻撃、そして国際政治の緊張もまた、物流の停滞や原材料不足を引き起こし、サプライチェーンに大きく影響する。名古屋市立大学教授の下野由貴氏によれば、協業によるサプライチェーン全体でのリスク分散が、各企業の成長につながるという。サプライチェーンにおけるリスクマネジメントはどうあるべきかを下野氏に聞いた。
2025/12/04
中澤・木村が斬る!今週のニュース解説
毎週火曜日(平日のみ)朝9時~、リスク対策.com編集長 中澤幸介と兵庫県立大学教授 木村玲欧氏(心理学・危機管理学)が今週注目のニュースを短く、わかりやすく解説します。
2025/12/02
目指すゴールは防災デフォルトの社会
人口減少や少子高齢化で自治体の防災力が減衰、これを補うノウハウや技術に注目が集まっています。が、ソリューションこそ豊富になるも、実装は遅々として進みません。この課題に向き合うべく、NTT 東日本は今年4月、新たに「防災研究所」を設置しました。目指すゴールは防災を標準化した社会です。
2025/11/21
サプライチェーン強化による代替戦略への挑戦
包装機材や関連システム機器、プラントなどの製造・販売を手掛けるPACRAFT 株式会社(本社:東京、主要工場:山口県岩国市)は、代替生産などの手法により、災害などの有事の際にも主要事業を継続できる体制を構築している。同社が開発・製造するほとんどの製品はオーダーメイド。同一製品を大量生産する工場とは違い、職人が部品を一から組み立てるという同社事業の特徴を生かし、工場が被災した際には、協力会社に生産を一部移すほか、必要な従業員を代替生産拠点に移して、製造を続けられる体制を構築している。
2025/11/20
※スパム投稿防止のためコメントは編集部の承認制となっておりますが、いただいたコメントは原則、すべて掲載いたします。
※個人情報は入力しないようご注意ください。
» パスワードをお忘れの方