嘉納の扁額「自他共栄」(神戸・灘中高校所蔵)

中国と友好関係・保持

嘉納は近代以来の世界の大局を、白色人種と黄色人種の間の種族優劣の競争とし、黄色人が一致団結して白色人の勢力に対抗し、アジアの平和を守ることを希望したが、これが、日本は中国と友好関係を保持しなければならないという嘉納が堅持した基本的な出発点であった。

それならば、如何(いか)に中国を補佐し、その勢いを強められるのか。教育家として嘉納は中国の教育改革に目を向け、中国の教育改革の活動に積極的に身を投じた。彼の思想や行動は決して日本社会が一致して認めるところではなく、異なる観点を持つ各界人士の懐疑や避難を引き起こしたことがあった。日本にいた中国人留学生はこれに対して感じるところがあり、何故(なぜ)新聞紙上の言論と嘉納先生の主張は一致しないのかと、尋ねたことがあるが、嘉納は次のように答える。

「弊国の新聞社の主筆、名士は僅かに3人のみで、今は皆常に原稿を書いているのではないし、それ以外の者はみな知識が浅く、世界の大勢を未だ知らない。これらの議論は、独り新聞社がそうであるだけではない。弊国の知識人はまた常に予言して、支那のために教育を興すと、将来必ずや復讐されることになると言う者がいる。支那が強くなれば日本が弱くなり、彼の地は広く民は多いのだから、我々はどうして対抗し得るか。これは自ら敵に教えることではないかと。私は常にこれに答えて、支那のために教育を興すのは、支那を強くして日本を弱くしようと欲しているのではなく、世界の一等国として列し、相互に助け、共に一層強くなって、白人と争うことを欲しているのである。支那の教育が興った後、日本はどうして再び進歩することなく、なお今日の日本のごとくであることがあろうか」。

嘉納は、日中関係は相互に利益をもたらすもので、共同して西洋列強に挑戦することの歴史的必然性を訴えている。「自他共栄」である。

嘉納は平和主義者であり、中国の平和があってはじめてアジアの平和が保て、アジアの平和があってはじめて日本の平和を維持できると考え、中国が強大になってアジア及び世界の平和をしっかり守ることを希望したのであり、これが嘉納が中国の教育改革に参与した重要な動機であった。

嘉納は述べている。「私は今宏文学院を設立し、清国留学生に先ず日本語及び普通教育を教授している。これをもって各種専門学校に入学する準備とし、また別に速成科を作って期間を短縮して専門の学を修めさせる。総じて言えば、我国人はよく清国に注目し清国に赴き一切の事柄を調査し、国内にあってはまた清国の人を信頼し、もって両国関係の事業を謀り、両国の利益を図るべきであり、これが私の希望するものである」。

清朝末の日中教育関係に重大な影響をもたらす鍵となる人物として、嘉納が中国の教育改革に参与した動機は複雑で多面的であり、それは日本の文化意識と理想の追求において生まれ、かつ西学東漸の国政的背景のもとで形成された。