円滑にビジネスを進めるために「本音と建前」を使い分けることがリスクになる時代(イメージ:写真AC)

「本音と建前」は今も有効なのか

混沌とする社会情勢において、企業経営上のリスク想定も多様化しており、実態を把握しづらいのが実情であろう。企業が事業を営む上で必要不可欠な取引先との関係も、リスクの実態が把握しづらい一つであろう。

例えば、反社会勢力との取引が確認されると社会的信頼を失墜するリスクがあることを疑う人はいない。現在では、この種のコンプライアンス対応はおおよそ浸透しているのではないだろうか。

また、輸出貿易に関するかつてのココム規制や、現代の該否判定などによる法規制の範囲は明確に運用されているだろう。しかし、これらの対応が必要条件であっても十分条件ではなくなっていることは、もはや当たり前である。

一定の分野や範囲でのコンプライアンス対応は浸透しているが、それだけでは十分ではない(イメージ:写真AC)

判定の元になる価値観自体、国や地域によって大きく異なる。それは当然なのだが、表向きは見えにくく装われていることが原因の一つである。グローバル事業環境下では、それぞれの価値観を理解した上での事業展開が必要不可欠であり、サプライチェーンも含めたネットワーク全体でのリスク思考が重要になっているが、実際の対応は口でいうほど簡単ではない。

それは表面上に見えている事象だけでは計り知れず、同じ言葉で表現し説明されていても、実態は異なる例が多いからだ。このことを認識する必要があるのだが、実は頭では分かっていても抜け出せない構造にはまり、見て見ぬ振りをしているともいえるだろう。

「本音と建前」の使い分けが悪いほうに現れる事象が多くなっている(イメージ:写真AC)

悪意ある偽装という事例もあるだろうが、それなら実は分かりやすい。それよりも複雑なのは、経営としては強い意思を持って打ち出した指針を、現場運用のなかで担当者、ときには現場責任者が、個々の事情を鑑みた現実論という言い訳を盾に、忖度を働かせて、表面上はきれいに仕上げて発信する。これは「本音と建前」が悪いほうに現れた事象かもしれない。

昔であれば「本音と建前」は無用な争いを避け、スムーズにビジネスを進めるために有効ではあった。だが、価値観が異なりかねないほどの複雑な環境では、間違いなく潜在リスクになる。筆者は組織構造とその構成人材が善意で生み出すロンダリングだと考えている。

そもそも「本音と建前」を使い分けて、波風立てずに穏便に事を済ませる手法は、前提条件として価値観が同一であることが共有され、信頼関係が性善説にもとづいて成立している状況で、はじめて有効になると考えるのは筆者だけだろうか。