マスクをめぐり感情的な二項対立が生まれている(写真:写真AC)

ここにきてマスクに対する議論が活発になってきた。しかしその中身を見ると、絶対正義と絶対悪に2極化した実り乏しい誹謗中傷に近いものが多く、建設的な議論とは思えないのが実態である。

2022年3月に開催されたG7、NATOの映像を見て世界の変容を痛感された方は少なくないだろう。世界ではもうノーマスク、密集・密着OKなのである。岸田首相は現地ではノーマスク、帰国すればマスク着用という不可思議な構造が露わになってきた。

この構造が適切に日本国内で議論した結論であれば、世界との違いを云々する必要はないだろうが、感情論に支配された結果だから問題なのだ。

マスク派ノーマスク派の主張の根拠は(写真:写真AC)

巷のマスク論議に決定的に欠落しているのが、目的・効果論である。「いや、そんなことはない、感染抑止効果だ」という方は多いかもしれないが、その時点で非論理思考であることに気付かねばならないだろう。論理的に評価するなら、感染しない効果と感染させない効果を明確に分けて検討しなければ不毛なのだ。

受動的感染リスク 感染しないためにマスクは有用か?

まずは感染しない効果、受動的なリスクに関して考えよう。

ダイヤモンド・プリンセス号の事案を思い出していただきたい。厚労省や内閣官房の職員も感染している。一方で、自衛隊隊員の感染は確認されていない。何が違うのだろうか。

マスクの効果は厳密運用によって担保されることは以前から分かっている(写真:写真AC)

この事案は、マスクや防護服は万能ではなく、その運用次第で根本的に異なった結果になる証だろう。考えてみてほしい。コロナ禍以前のマスクに対する専門家の忠告では、着脱時に表面を触らず、紐だけに接触して外し、ビニール袋などに慎重に入れて廃棄する必要性が声高に叫ばれていた。もちろん、装着時に隙間がないようにすることも。

このルールを守るためには、いったん装着したマスクを外した瞬間、廃棄(あるいは洗浄)、交換が前提となることは自明だ。

現在のマスク着用の社会的ルールは「外出時は装着」だ。つまり、長時間の装着を余儀なくされている。その間に複数回の脱着行為が発生、いやそれ以前に、マスクのズレを修正し直す行為の回数はもっと多いだろう。

1日に何度も脱着するのが現実(写真:写真AC)

マスクをすれば安心だという人は、マスクがウイルスをブロックしてくれていると考えているのだろう。ということは、マスク表面にはウイルスが存在していると考えているのではないのか。そのマスクに、1日の中で何回接触しているかを考えてみてほしい。