2019/03/04
安心、それが最大の敵だ
空前の大自然改造
吉宗時代の新田開発には際立った技法上の特徴があった。それが「紀州流」である。江戸時代前期に盛んに行われた新田開発では、農業用水として湖沼、溜池、小川の水を利用する場所を対象としており、大河川の中・下流域付近一帯は手つかずのままであった。この肥沃な地帯が開発対象とならなかったのは、当時の築堤技術、河川管理技術では河川の流れを統制するのは不可能だったからである。治水技術が未熟だった。ひとたび豪雨に襲われると、洪水は堤防を切ってあふれ出し、一帯を水面下に没し去ってしまう。流域民も溢水(いっすい)の危険をあらかじめ考慮して、河川敷を広く設けており田んぼや民家は遠く避けるのを常とした。徳川幕府が伝統的に採用してきた「伊奈流(関東流)」工法は、そのような技法に立つものであった。
将軍・吉宗が紀州藩から招聘した井澤弥惣兵衛ら土木技術者たちは、新工法(紀州流)を幕府の治水策の柱に据えた。それは強度を持った築堤技術と多種の水制工を用いた河川流路の制御技術(「川除(かわよけ)」)とをもって、大河川の流れを連続長大の堤防の間に閉じ込めてしまう技法であった。
弥惣兵衛は、将軍の意を体し近畿地方から関東甲信越地方一帯にかけて一大新田開発を手掛けた。紀州流によって、大河川下流域付近一帯の沖積平野、及び河口デルタ地帯の開発が可能となった。しかも堤防の各所に堰と水門を設けて、河川から豊富な水を農業用水として引き入れることによって、河川付近のみならず遠方にまで及ぶ広大な領域に対して田地の灌漑を実現した。あわせて山林原野の開墾も手掛けた。農政の大転換であり、空前の大自然改造であった。
幕府は、新しい土木技術や河川管理技術によって、同時に勃興する商人たちの資本力を活用した町人請負制型の新田開発の方式を導入することによって、幕領の石高がこの時期に約60万石もの増大をみて460万石ほどまでに上った。<米将軍>吉宗のもと、幕府の財政再建は着実に進行し、改革の開始から10年余を経た享保16年(1731)頃には財政は黒字基調に転じて諸大名からの上米(強制的に取り立てる米)に依存しなくてもいい状態に到達した。
- keyword
- 安心、それが最大の敵だ
- 徳川吉宗
- 米
- 新田
- 治水
安心、それが最大の敵だの他の記事
おすすめ記事
-
-
-
中澤・木村が斬る!今週のニュース解説
毎週火曜日(平日のみ)朝9時~、リスク対策.com編集長 中澤幸介と兵庫県立大学教授 木村玲欧氏(心理学・危機管理学)が今週注目のニュースを短く、わかりやすく解説します。
2025/10/28
-
-
-
-
-
月刊BCPリーダーズ2025年上半期事例集【永久保存版】
リスク対策.comは「月刊BCPリーダーズダイジェスト2025年上半期事例集」を発行しました。防災・BCP、リスクマネジメントに取り組む12社の事例を紹介しています。危機管理の実践イメージをつかむため、また昨今のリスク対策の動向をつかむための情報源としてお役立てください。
2025/10/24
-
-
「防災といえば応用地質」。リスクを可視化し災害に強い社会に貢献
地盤調査最大手の応用地質は、創業以来のミッションに位置付けてきた自然災害の軽減に向けてビジネス領域を拡大。保有するデータと専門知見にデジタル技術を組み合わせ、災害リスクを可視化して防災・BCPのあらゆる領域・フェーズをサポートします。天野洋文社長に今後の事業戦略を聞きました。
2025/10/20








※スパム投稿防止のためコメントは編集部の承認制となっておりますが、いただいたコメントは原則、すべて掲載いたします。
※個人情報は入力しないようご注意ください。
» パスワードをお忘れの方