効率的な紀州流治水

紀州藩士時代の弥惣兵衛(30~60歳まで)の功績を考える。この間に紀州流が確立した。彼には同じ地方巧者・大畑才蔵という優れた年上の農業技術者(パートナー)がおり、今日大河・紀の川などで使用されている大堰、水路、農業用ため池などは弥惣兵衛・才蔵の地方巧者コンビが計画し施工したものが大半である。(藩主は吉宗である)。中でも紀の川の小田井(おだい、井は堰の意)は広大な沃野を誕生させた一大事業であった。

小田井は江戸中期の農業土木技術の最高水準のものであり、弥惣兵衛と才蔵によって開発された「水盛器」を使った水準測量の成果は、統制された用水路の縦断勾配に表れており、その精密さは追随を許さない高度なものであった。起伏に富む段丘地形を水平に近い緩勾配で開削するたびに中小河川の谷間が立ちはだかった。これらもサイフォンの原理を応用した伏越(ふせこし)や谷川の上に水路を架ける渡井(とい)で解決した。穴伏川の深い谷に無橋脚の水路橋を架設する難工事も、高度な技術力で切り抜けた。この水路橋は「龍之渡井(たつのとい)」と呼ばれる。小田井の難工事を物語るものは、伏越や水路橋の多いことである。現在用水には9カ所のサイフォンと「龍之渡井」など8カ所の水路橋がある。

才蔵の工法の特徴は、用水路を丁場(受け持ち区域)割にして丁場ごとに必要な資材や掘(掘削)、築(盛土)の土量などを算出したこと、そして、必要人足を割り当てて各工区ごとに同時に着工し、施工期間を著しく短縮したことである。丁場割の基礎として必要なことは、人夫1人1日の作業量の基準を算出することである。

丁場割は60間(約109m)を基準とし、各丁場ごとの掘深・天端(てんば、堤防などの上端)幅を求めて掘り取り量を算出し所要労力を知る。さらに、現場の表示や施設物の種類、数量、位置などを決め、これらを1冊の帳簿に記録する。土木工事の成否を決めるのが測量である。才蔵は竹筒と木で作った水盛台(レベル測量機器)を考案し、距離60間を1区切りとして測量し、3000~5000分の1という緩勾配の用水路を開削している。