晩年の詩人フロスト

私はアメリカに取材旅行や現場視察などで出かける際に、必ずと言っていいほど1冊の英語詩集を旅行カバンに入れた。現代アメリカを代表する詩人の一人ロバート・フロスト(1874~1963)の詩集である。何度も携帯したのでハードカバーの詩集はボロボロである。私はフロストの詩に学生時代に巡り合って以降、彼の作品を半世紀もの間愛読している。とりわけフロストが長年住みつき詩の舞台として描いた自然豊かなアメリカ北東部のニューイングランド地方を訪れる時には全集を持参して機内、ホテル、取材の合間に思いつくままページを開いては黙読した(私はフロストとともにエドガー・アラン・ポーの詩集も愛読した)。

ここで我がフロストの88年の人生をスケッチしたい。「フロスト詩集」(岩波文庫)の「解説」から一部引用する。フロストは1874年3月26日、サンフランシスコに生まれた。両親とも元はニューイングランド出身で、父はハーバード大学を出た野心的な秀才で、西海岸でジャーナリストや政治家として一旗揚げようとしたが、中年になる前に他界した。早く父が死んだ後、フロストは11歳の時、ニューイングランドを代表するマサチューセッツ州の祖父の家に移った。フロストはハイスクール時代から詩人を目指し、ギリシャ・ラテン語を学ぼうと名門ハーバード大学に入学したが、課題として提出した詩に若い講師があまり高い評点をつけなかったため、憤然として中途退学したという。のちに祖父に買ってもらったニューハンプシャー州の養鶏農場を経営したが、詩作にふけって経営の成果は上がらなかった。

38歳の時、彼は新たな人生を切り開くため、農場を売却して一家を挙げてイギリスに渡った。翌1913年最初の詩集「若者の心」を出した。次いで1914年「ボストンの北」を刊行し、たちまちイギリス文人たちの評判になった。イギリスでの定評を得てアメリカに帰国したフロストは、再び農場を買い求めて詩作に励んだ。

フロストは奥深い森や山の中にただ一人で分け入って行くのが大好きで、そうしてほぼ毎日のように繰り返していた孤独な遠出が、彼の多くの詩のテーマになった。彼は1963年に88歳で亡くなるまで、詩を書き続けた。4度にわたるピュリツアー賞受賞に加えて、ケネディ大統領の就任式で自作の詩を朗読するという名誉も与えられ、国民的大詩人となった。オックスフォードやケンブリッジ大学をはじめ多くの大学から名誉文学博士の称号が与えられた。聞くところによると、皇后様もフロスト作品を愛読されているという。